A.C.シエナ情報ブログ “今日のSIENA”

7年目のセリエA、正念場。

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“海兵隊員”ジャンピエロ・ヴェントローネ

1年ぶりのカムバックといえば、今季からACシエナのフィジカルトレーナーに就任したジャンピエロ・ヴェントローネ氏のインタビューが「Calcio 2002」9月号に載っているのを今さらながらに発見しました。

彼が元ユヴェントスのフィジカルトレーナーだったことは知っていましたが、かのドーピング裁判(※)によって彼も1年間カルチョ界を追放されていたということは初めて知りました。

最先端のスポーツ科学を取り入れ、一時代のよく走り、よく戦うユーヴェを鍛え上げた人でした。それまでのカルチョ界の常識からすれば桁外れの量のトレーニングを選手たちに要求するスタイルから“海兵隊員”と呼ばれていたそうです。
その彼がまたユーヴェのつてで「再雇用」されてシエナにやってきたということでしょうか。

経緯はどうあれ、シエナはこの夏の合宿で彼の地獄の肉体改造を耐え抜き、一年間を戦い抜く体を手に入れたはずです。

スペイン2部のアルムニアからやってきたアルゼンチン人、ロベルト・ナンニ(所有権はディナモ・キエフ)は、インタビューの中でイタリアのトレーニングの驚くべき厳しさについて触れていましたが・・・・・それはイタリアのではなく、ヴェントローネのトレーニングだったからだよ、ロベルト。

逞しくなったシエナ、そしてそれを鍛え上げたヴェントローネ氏が相応しい結果を得られることを期待します。


※ユーヴェが選手たちに抗うつ剤であるクレアチンを投与していたことが判明。チームドクターが主犯として罰せられ、クラブにはお咎めなしという灰色の判決となった。

ダヴィデ・キウミエント

昨季のレンタル終了後、今度はユーヴェからルマンへとレンタルとなったダヴィデ・キウミエントに関しては、松井大輔のライバルの情報が気になる方が大勢いらっしゃるらしく、検索の結果このブログへと辿りつく方も少なくないようです。せっかくなので彼のプロフィールや昨年の活躍のことなんかを少し。


ダヴィデ・キウミエントはイタリアにルーツを持つスイス人プレーヤーです。ボールテクニックに関しては、ほんの数タッチプレーするのを見るだけでこれはちょっとものが違うなと感じさせる柔らかさ、巧さを持っています。デルピエロの後継者、などと持ち上げられた時期もありました。

イタリア代表=アッズーリ入りを目指していた彼は、スイスのフル代表入りの誘いを受けながら、それを辞退します。しかし選手層の厚いユーヴェでは出場機会を得られず、アッズーリ入りへのアピールをするチャンスは得られませんでした。
そこでユーヴェは我らがシエナに一年間彼を貸し出して、経験を積ませるという選択に出ました。

しかしシエナにはエンリコ・キエーザという絶対の存在がおり、彼と役割がかぶるキウミエントはあまり起用されることはありませんでした。テクニックには優れるが、体を張って戦うシーンはほとんど見られず、残留のためにとにかく結果の欲しいシエナでは後半ますます出場機会を失っていきます。

それでも第24節のメッシーナ戦で彼が挙げたゴールは忘れられません。
この日は明らかにオフサイドのゴール、厳しすぎるPKなど審判に2点を“盗まれた”上、ポルターノヴァまで退場にされたという散々なゲームでしたが、残り時間16分で投入されたキウミエントが、ゴール前へのクロスに合わせて突然現れ、ボールをメッシーナのネットに叩き込んでくれたときには目頭が熱くなりました。「どうだ!」と言わんばかりに誇らしげに胸を張ってアピールしたポーズが今でも目に焼きついています。

このゴールで2-2のドローに持ち込み、シエナはその後尻上がりに調子を上げていきます。残留への契機となったゴールでした。しかし結局これが彼の昨シーズン唯一のゴールだったというのが寂しい限りです。

その後ユーヴェに戻った後、今度はセリエBのアヴェッリーノへのレンタルを打診されますが、「国はどこであれトップリーグでなければプレーしない」と拒絶し、リーグアンのルマンへと旅立って行ったという経緯があります。

おそらく本人は2部から昇格し立てのクラブならスタメンも容易く取れるだろうと予想したのではないかと思いますが、ルマンでは今度は松井大輔という絶対の存在がいて、彼と競争するか、共存するかという問題にまた向き合うことになりました。
今シーズンは少しでも多くの試合に出て、彼の夢であるアッズーリへ1歩でも2歩でも近づいて欲しいと思います。

さて、今年のシエナにはまたもや「デルピエロ級の才能」と賞賛される、レイ・ヴォルパートがやって来ました。期待されながら開幕前の負傷などもあり、ここからスタメンに割り込むのはなかなか厳しそうな予感がします。さて、今度のデルピエロはいったいシーズン何得点を挙げてくれるのでしょうか・・・?

No.8をアルジッリに捧ぐ

8月3日から始まるカッティロン合宿までお休みのACシエナ。本日は目ぼしい情報は出ていません。

先日新背番号の気になることという雑記を出しましたが、11番までのレギュラーナンバーでは1番、7番の他に8番も空いていることには気づかれたでしょうか。

実はこの8番は先日退団したステファノ・アルジッリが着けていた番号でした。

96-97シーズンから9シーズンシエナに在籍し、セリエC1からセリエAまでの道のりを支えてきた彼の功績に敬意を表し、この8番は永久欠番とされることになりました。

この提案は、会長のパオロ・デ=ルーカによってシエナの委員会に提案されたそうです。

シエナはアルジッリに敬意を表してNo.8を捧げましたが、私は彼に敬意を表してこのブログのマスコット・アルジッリくんに彼の名をつけました(クリックするとしゃべりますよ)。

昨日まで灰色のなんだか分からない空間にいた彼ですが、ようやく表に出してやれました。心なしか嬉しそうです。

新背番号の気になること

新背番号も発表されたことですし、サイドバーのSquadra(チームのこと)のコーナーも更新しました。

今日は大したニュースも出なさそうなので新背番号について気になるあれこれを。

まず1番。ファーストチョイスのゴールキーパーが着けるべきこの番号がまだ空いているというのは、やはりパリュウカか、そうでなくとも実績のあるキーパーの獲得をまだ狙っているということでしょう。私はとにかくフォルティンがスタメンという事態だけは勘弁して欲しいので。

そして9番。私の大好きなT.A.フローの背番号はナンニに受け継がれました。本来ならマッカローネに背負わせてやるべきだったのでしょうが、これはもう復帰の見込み無いのかもと思っています。

そして実は意外なのが7番が空いていること。この番号は普通右サイドのプレーヤーが着けるのですが、この冬から加入し、シエナの右サイドで貴重なボールの預かり役になっていたブラジル人ウイングバック、アウベルトが残留したにもかかわらず、何と彼の背番号は75。どうやら生まれ年を背番号に選んだようですが、昨季の活躍を考えると彼に7番が与えられなかったのはいかにも不自然です。

そうなると昨季7番を着けていた選手のために席を空けているということがまず頭に浮かびます。そう、イゴール・テュドルです。

アウベルトと同じく冬にシエナにやってきて、まるで要塞のような存在感を放っていた彼が戻ってくるとしたら、こんなに心強いことはないのですが。もしユーヴェに残ってもカペッロ監督は絶対彼を使わないでしょうしね。いくらなんでも彼の行き先が決まるのが遅すぎるのも妙といえば妙です。劇的なカムバックがあるのかも。

次に右サイドプレーヤーということで思い浮かぶのは、獲得の噂が上がったヨナタン・バキーニです。実は彼はガゼッタ・デッロ・スポルトのシエナ在籍選手一覧に一時期名前が載っていました(もう消えてしまいましたが)。
本当に彼の話は何だったんでしょうか・・・?

そして、実はもう一人私の頭に引っかかっている選手がいます。それは先日サンプドリアと契約を解除したクリスティアーノ・ドーニです。

実はあるところでシエナのドーニ獲得の噂を目にしたのですが、つい気にも留めないでURLなりなんなりを押さえておくのを忘れてしまいました・・・。この時期はありとあらゆる噂が立つので、いちいち真に受けていたらやっていられませんから。

しかしアッズーリ選出の実績もある大型サイドプレーヤーの彼がシエナにやって来たら・・・強力な戦力になることは間違いありません。

根も葉もないいわゆる「飛ばし記事」というやつかもしれませんし、信憑性はゼロと言ってもいいと思います。こんな情報に踊らされてはいけません。

と言いつつ、背番号7の白と黒のシャツを着て、シエナの右サイドを駆け抜ける彼の姿を想像すると思わずにやけてしまう自分がいます。やっぱりこの時期はあらぬ期待に胸膨らませるのが楽しいんだよなぁ・・・。

ロドリゴ・タッデイ

一人重要な選手のことを忘れていました。
それは03-04シーズンのヒーロー、ロドリゴ・タッデイです。

タッデイはセリエB時代の02-03シーズンからシエナに在籍していたブラジル人のサイドアタッカーです。
しかし03-04シーズンを見る限り、彼のポジションはほぼトレクワルティスタでした。

突如としてゴール前に現れる彼のゴールによって、シエナはいったいいくつのゲームをものにしたことでしょうか。03-04シーズンのMVPは間違いなく彼でした。

しかしこの活躍によってローマに目をつけられてから、シエナとタッデイの蜜月は崩壊してしまいます。ローマ移籍を念頭に、契約更改を拒むタッデイと、移籍金0で放出するわけには行かず、更改を強要するシエナ。両者の関係は泥沼に陥りました。

会長のパオロ・デ=ルーカは、「ACシエナでプレーする気がないならバスケットチームでプレーすればよい(ちなみにシエナのバスケットチームはイタリア屈指の強豪)」と発言し、更改を受け入れないならタッデイを起用しないことを明言しました。

正直その強引なやり口はどうかと思いますが、それが彼一流のスタイルなのでしょう。

その後、裏でどのような取引があったのかは分かりませんが、冬のメルカートを迎える頃に両者は和解を遂げます。

晴れてチームへ帰って来たタッデイでしたが、半年間のブランクは彼から輝きを奪い去ってしまいました。その後も新監督デ=カーニオに意欲の低さを非難されるなど(おそらくローマへの移籍が決定していた彼にはすでに動機が欠けていたのでしょう)、チームに不和をもたらし続けたタッデイは、その頃にはすでにチームにいないも同然の選手でした。

最終節、押し込みながらも決勝点が奪えず苦しんだアタランタ戦で、タッデイは敵選手が倒れこんだまま起き上がらないのを見て、キープしていたボールをタッチラインに蹴り出してしまいました。
普通なら許容される(というより推奨される)フェアな行為でしたが、この切羽詰った状況でのその選択はあまりにも無神経でした。

それを見て激昂したイゴール・テュドルが彼に駆け寄り、咽喉元をつかんで何事か怒鳴りつけました。テュドルは身長193cm体重90kgの大男です。私はテュドルは彼の首をへし折るつもりかと思いました。

あわてて監督のデ=カーニオはタッデイをベンチへ下げました。タッデイがいかにチームの中で孤立していたかを示すエピソードだと思います。

タッデイはセリエA昇格を決めた03年の夏に、弟と二人で乗っていた車で大事故を起こしています。この事故で自らも重症を負ったそうですが、彼の弟は気の毒なことに帰らぬ人となってしまいました。

21歳で夭逝した弟を偲んで、タッデイは背番号を彼の享年と同じ21番に変えました。

シエナとの別れは後味の悪いものになってしまいましたが、初のビッグクラブ挑戦となる05-06シーズンでの彼の成功を祈ってやりたいと思います。

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